平素は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、この度5年以上に渡りお引き立ていただきました『柔YAWARA』でございますが、
長野県への移住により令和3年3月20日(土)をもちまして閉店することとなりました。
5年という月日はあっという間で、28歳で開業した自分がいつの間にか33歳に。
そして今年で34歳になります。
開業して、結婚して、子供はまだですが、ここでまた転機が訪れるとは思ってもいませんでした。
お客様に対しては本当に感謝しておりますし、岡崎市で事業を続けることができなくなり大変申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
お客様には全部を伝えきれないので自分の気持ちをこのブログにまとめようと思います。
結論から言えば、家族のライフスタイルを考えた時に、妻の実家の長野県で過ごした方が幸せだという考えにいたったからです。
何度も悩みました。
その結果、移住および移転という結論に達しました。
その事について色々とだらだら綴っていきますので、ご興味があればそのまま最後まで読んでいただければ幸いです。
2021/1/21 現在
ご来店してくださり、誠にありがとうございました。
まずはじめに、ろくな看板も出していない当店にご来店してくださり、本当に、本当にありがとうございます。
皆様には感謝しかありません。
月に1度来てくださるお客様。
2週に1度来てくださるお客様。
毎週来てくださいお客様。
自分の親友に会うのはせいぜい年に1回程度。
それを思うと自分の親友よりも多くの時間をお客様達と過ごしたことになります。
何度も言いますが、これはホントに感謝でしかありません。
移住する理由を述べる前に、『柔YAWARA』というお店を運営するにあたって心掛けていたことが2つございます。
1つが『お客様の話をしっかり聴く』
もう1つが『文字でのコミュニケーションも大切にする』
です。
治療するにあたって、お客様の話を『聴く』ということは非常に大切なことだと考えております。
これは開業する前から感じていたことです。
病院では医療保険が使えるため、お客様・患者様の自己負担は1~3割程度。
変な話、お金は英語でクレジット。
クレジットの意味は『信用』。
つまり、信用の代替物としてお金が存在していることになります。
そう考えると、病院でリハビリやっていると、お客様から頂く「信用」は1~3割。
あとの7~9割は国から頂く「信用」という事になります。
リハビリで働いていても、実際に金銭の授受をしていないので、患者様から頂く「信用」の価値を理解できません。
実感が薄いという言葉が適切かもしれません。
その影響で、病院にいると患者様への対応や治療が雑になってしまいます。
ひどいと病院経営のために必要のない書類までつくるようになります。
雑になったとしても、安いと理由である程度の範囲なら患者様にも怒られません。
でもおかしな話ですよね?
『それはなんか違う。』と自分はずっと思っていました。
だから、独立したというのもあります。
当店では完全に自費での治療です。
税込5,500円。全てお客様から頂いております。
お客様の「信用」治療の「全責任」を僕が背負わなければなりません。
そうなった時に医療保険が使える病院や接骨院と同じことをしていて、いいわけがありません。
皆様から「信用」を得るためには、『聴く』という事をしなければ何も始まりません。
『聴く』事をしなければ、お客様が抱えているトラブルの問題点を理解することができません。
『聴く』事をせずに治療をはじめれば、それはただの自己満足となってしまいます。
身体も心も軽くすることは不可能です。
お客様の訴えを聴いて、お身体の検査を精密に行い、トラブルの原因をしっかり伝えることでようやく治療するができると考えております。
僕はこの5年間皆様の声やお身体の訴え『聴く』ことに徹していました。
それが皆様に少しでも伝わっていれば幸いです。
2つ目に関して、文字でのコミュニケーションも大切にするように心掛けておりました。
なぜなら、皆様もご存じの通り、おしゃべりが苦手だからです…(苦笑)
でもコミュニケーションには色々な方法があると僕は思っております。
「きく・はなす」「書く・読む」「(治療の為に)さわる・さわられる」などなど。
コミュニケーションの手段なんて山ほどあるんです。
はなせないなら、心から聴けばいいですし、自分の気持ちが上手くしゃべれないなら、書きまくればいいですからね。
LINEを登録されている方ならご存じだと思いますが、毎週火曜日にどうでもいいようなメッセージをお客様に送りつけています。
そのメッセージに反応してくださるお客様もいらっしゃいます。
先ほどもお伝えした通り、「聴く」ことができないと治療はできません。
僕みたいにおしゃべりが得意でない方も、文字ではとても詳しく表現してくださるケースも多々あります。
それが、治療のヒントになるケースもたくさんあります。
病院で働いていた時苦手だったコミュニケーションも、文字を使う事でなんとか克服することができたのかと思います。
知識や治療技術もそうですが、『お客様のお話をしっかり聴く』『文字でのコミュニケーションを大切にする』がお店をやるにあたって特に大事にしてきたことです。
夢は山が見える所で畑を耕して駄菓子屋でスローライフ
と22歳の時に病院の上司に明言していたことです。
根拠もないのに自信をもって言っていたのを、これを綴っていて思い出しました。
それに加えて開業したいとも言っておりました。
大抵のことは有言実行しているんですが
なんともいやはや…
30歳で結婚した相手が山の民だったとは…
これも運命みたいなもんですね。(苦笑)
ちょっとだけ僕の話をしますね。(だいぶん長くなりますが笑)
2015年、僕が28の年に柔YAWARAを開業しました。
理由としては、
- 自分の力を試したい。
- 話を「聴く」ことができる環境をつくりたい。
- 父親が土木で自営をしている姿をみていたから。
- 病院という狭い檻から抜け出したい。
などなどがありました。
今思い返すと開業当初はホントにひどかったと思います。
こんな立地なのに、
- ホームページはない
- ひどい手作りのチラシ
- 生きるので必死で人の話を「聴く」事ができない治療。
- 11時~23時までの営業。
- 休憩なし。
- お客様にはうれしい施術代3,000円。
これはホントにひどかった。
世の中の事を何も知らずに、病院の中で天狗になっていたやつが外に出ると、このようなことになるんだと実感しました。
今振り返るとぞっとします。
そしてなにより、その当時付き合って同棲していた現在の妻には頭があがりません。
一番苦労したのは僕ではなく、間違いなく彼女だったと思います。
なぜなら、病院で勤めていれば、リハビリの科長だったのでそれなりの給料はもらえていましたからね。
何度も泣かしてしまった事を今でも覚えております。
ふと気づくと、
『何で開業したんだろう?』
『誰のためにやっているんだろう?』
と事業の目的を見失いかけていました。
夜遅くの営業時間、休みのない勤務体制、その他いろいろ必死になりすぎて、心の余裕はなくなり、(当時彼女だった)妻を泣かしてしまう。
『これは違うだろう。』
とふと思った瞬間、靄がかっていた視界が広くなりました。
同時に絡まり合っている鎖も引きちぎっていかなければなりませんでした。
その当時のお客様には、大変申し訳なかったのですが、営業時間も2回にわたり変更させていただきました。
施術時間も短くした上に、料金の方も2度の値上げをいたしました。
それもこれも、
大事な人を泣かすようなことをしないために。
大切なお客様に質の高いものをご提供するために。
そして、自分の心にゆとりを持つために。
色々変えさせていただきました。
その間に運がいいことに結婚もできました。
ですが、その中で起きたのが2019年の出来事です。
ストレスもたまっていたのかもしれません。
噛みしめで、歯が割れ、治療をしたら、今度は顎がおかしくなり、関連して三半規管や聴覚障害がおきて左半身が機能しなくなりました。治療するための身体が動かなくなったんです。
たかが顎でしょ?
って笑われますが、ホントにこれはあかんやつでした(苦笑)
正直心が折れかけました。
でも、そこでも支えてくれたのが『妻』でした。
そして、励ましてくださった『お客様』でした。
短縮営業に加えて、施術時間も短くし、左手に力入っていないのにそれでも来て下さったお客様には頭が上がりません。
人生でこんなに人の暖かさを感じた時はありませんでした。
そして、体の調子も徐々に良くなってきた2019年10月。
台風19号がやらかしてくれました。
これも寝耳に水のような出来事でした。
妻の実家の近くの長野県の千曲川の堤防が決壊してしまったんです。
朝3時から妻が『どうしよう、大丈夫かな』と泣き止みませんでした。
5時にテレビをつければ、妻の実家周辺は水没し流される光景を目の当たりにしました。
正直まだ顎が治っていなかったのにこの仕打ちはないだろと。
まだ地に落としてくれるかと思いました。
そんな時も、お客様からあたたかいお言葉をいただきました。
たくさんのご支援金もいただきました。
本当に本当にありがとうございました。
あたたかいお客様方に出会えて本当によかった。
そこから年末まで、被災地の長野市の復興のために毎週末ボランティアへ足を運びました。
それまでボランティアなんてやったことなかったんですけどね。
不適切な言い方かもしれませんが、そのボランティアでも色々学ぶことができました。
2019年はつらいことがたくさん起きました。
まぁー、でも、それを乗り越えるのか、ぶち当たって倒れたままなのかは自分次第だと思います。
ラグビーをしていた時に教えて頂いたコーチに『倒れたらすぐ立ち上がれ!』と言われ続けたおかげで、
なんとか立ち上がって、前を向けるようになりました。
『これだけの経験をしていれば、この先何があっても大丈夫だ!』
と思えるようになりました。
ある意味性格が超ポジティブに変わりました。
なかなか経験できない酷いことが起きた2019年を乗り越えたので。
と普通、これで話が終わると思うじゃないですか?笑
実はこれだけじゃなかったんです。
2020年1月3日、2019年の年末に妻の実家(仮住まい)へ行き、年末年始を過ごして戻ってきた時の出来事でした。
帰ってきて、自宅に着いて、扉に手をかけると…
鍵があいていたんです…
『まさか!?』と思い、自宅へはいると…
なんと
泥棒に入られていました。
そして、不幸なことに12月は必死でかつ忙しかっため、銀行に行けませんでした。
そうです。
12月の売上をすべて盗まれていました…
皆様から頂いた、せっかくの信用を。
ここまでダメ押しされると笑えるものも笑えなくなりますね(苦笑)
ですが、これは僕の教訓になりました。
『忙しい時ほど、気を緩めるな!』
最後の泥棒にしても、自分の体調不良もにしても、しっかり自分をコントロールできなかったのが原因だと思っております。
このように凝縮された一年を過ごしてしまうと、怖いものがなくなりました。
2019年は転機の年になりました。
おかげで鋼のメンタルを身につけることになりましたからね。
流石にこの先これ以上の事が起きることはないと思っています笑
事業とは社会貢献。仕事は生計を立てる手段。
自分のことについてひさしぶりに長く書いてしまいましたが、事業の意味を辞書でひくと『社会貢献』と意味だそうです。
事業を立ち上げて、きつい部分もありましたが、病院で言われるがまま働いていた時よりずっとずっとやりがいがありました。
どこまで自分の事業が社会貢献できていたかはわかりませんが、病院で働いているよりも得るものばかりでした。
お客様一人一人の人生に触れることができ、また勉強することができました。
結婚された方もいれば、お子様ができた方もいらっしゃいました。
お子様やお孫様が成長されていく話や事業の話などたくさんの方々のお話を聴けて良かったです。
人生観が大きく変わりました。
得るものがたくさんあったにも関わらず、この事業を続けられないことを深くお詫びします。
経営的に大丈夫であっても、家族のことやそのほか色々な面でしっかりとした基盤がなければ、社会貢献をするための事業を続けることができないのだと痛感しました。
自分はまだまだ色々な面で未熟です。
これが僕の生き方。
長野へ行くということは、正直悩みました。
行けばこの5年間積み上げた信用は0になります。
お客様方にも迷惑をかけてしまいます。
何が幸せなのかを考えまくりました。
妻とも話し合いをたくさんしました。
決め手はやはり、2019年の被災した妻の実家の作業を終えて仮住まいに帰って、家族で笑い合っている姿を見たからだと思います。
『家がなくても笑い合える家族って素敵だな』と感じてしまいました。
やはり、自分の1番身近にいる人を大切にすることが幸せなんだと。
そのことで妻の望むところで生活しようと決心致しました。
正直、自分の親も高齢なので心配です。
ですが、この先何十年もともに歩む妻の幸せを考えると、友達もいない愛知県にいるよりも、親も家族も友達もいる長野県へ行った方が最善だと考えました。
家族という基盤がしっかりしていれば、長野でも事業は行えますからね。
これが移住を決意した理由となります。
お客様方には申し訳ありません。
色々良くしていただいたのにも関わらず続けられないことをどうかお許しください。
これが僕の生き方です。
最後の最後までわがままにお付き合いしていただき本当にありがとうございました。
長野で根を張って、大きな地盤を気づいたら、必ず愛知にも戻ってきます。
僕は有言実行する男なので。
その日までどうか待っていただければ幸いです。
柔YAWARA 代表 長尾龍男
追伸 2021/5/28現在
長野へ移住してようやく新たなスタートをきる準備ができました。
ここからが新たなスタートとなります。
『日々成長』
長野市で社会に貢献できるようないい男になります。
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「あとがき」と新たな「スタート」
今回は柔YAWARAという1つの整体院のあとがき的な感じで綴っていこうと思います。 この記事を初めて読む方にとっては意味がわからないと思うので、あらかじめこちらの記事をご覧になってから読んでいただけれ ...