すぐに「心配」になってしまうあなたへ。大丈夫!「ない」ことが当たり前なんだから!

Zenの信念

すぐに「心配」になってしまうあなたへ。大丈夫!「ない」ことが当たり前なんだから!

とある日、施術中に、お客様からこのように言われました。

お客様
お客様

心配事があるってことは、幸せなことだよね!

心配事が、幸せなこと!?

理学療法士 長尾
理学療法士 長尾

僕はそのお話を聴いて、愕然としました。

なぜなら、基本、人は心配事や悩み事が「ある」方が、嫌だと考えていたからです。

でも、そのお客様は、続けてこのように言ったのです。

お客様
お客様

「ない」が私のベースだからね!「ある」ってことは、なんでも幸せなことなんだよ!

その時、僕はハッとしました。

生きていく上で、「ある」ことが当たり前になっているんだと。

  • 私には、居場所がない…
  • 家や財産がない…
  • 膝が痛くて、歩けない…

など

みんなが、持っているものが無いから、悲しい・つらい。と感じる方が多いです。

かたや僕も、時には他者と比べて、ないものに対して劣等感を覚えることがあります。

それは、「ある」がベースになっているからです。

しかし、そのお客様は違いました。

「ない」がベースになっているから、「ある」ことが幸せなことなのだと。

この考え方は、とてもすごいことではないでしょうか?

現代社会、物にあふれて、「ある」ことが当たり前な世の中です。

ですが、本質を見てみると、全ての人は「ない」ことが、当たり前ではないでしょうか?

  • 居場所がない→そもそも、居場所は誰かが用意してくれるものではありません。つまり、最初から「ない」ものです。
  • お金や家がない→最初から持っているわけではありません。
  • 膝が痛くて、歩けない→誰しもが、歳を重ねれば、痛みは出てくるのは当たり前です。むしろ、その痛みは、生活習慣の乱れを教えてくれているかもしれません。むしろ、ラッキーなことではないでしょうか?

このように考えると、「ない」ことをベースにすれば、幸せなことが増えるんだなと共感してしまいました。

そこで、今回の記事は「ない」ことが当たり前について、一休さんのおはなしを交えて、つづっていこうと思いますので、是非最後までご覧下さい。

有漏路より無漏路へ帰る

『有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰る一休み 雨ふらばふれ 風ふかば吹け』

自分に贈る禅の言葉

一休さんのこのような言葉をご存じでしょうか?

意味としては、

言葉の意味

「辛い時間も永遠には続かない」だから、そんなに悩まなくてもいい

引用 自分に贈る禅の言葉

有漏路(うろじ)と無漏路(むろじ)とは、仏語でそれぞれの意味が以下の通りとなります。

有漏路(うろじ)の意味

煩悩(ぼんのう) にけがれた迷いの世界

引用 goo辞書「有漏路」

無漏路(むろじ)の意味

煩悩(ぼんのう) のない清浄な世界

引用 goo辞書「無漏路」

一休さんは、元々人は、無漏路にいたと考えており、『無漏路→有漏路→無漏路』といった具合に、人は必ず無漏路にかえるようにできています。

つまり、無漏路である「煩悩のない世界」こそが本来あるべきところで、今生きている有漏路は、たんなる「休憩する場所」と認識されていたようです。

お客様
お客様

心配事があるってことは、幸せなことだよね!

とおっしゃったお客様も、一休さんのおはなしをされていました。

今、生きていることは、輪廻の流れで考えると、休憩しているにすぎません。

休憩しているからこそ、雨が降っても、風が吹いても、関係ないのです。

だからこそ、「つらい時間も永遠には続かない」ですし、つらいことに対して悩まなくてもいいのではないでしょうか。

「ない」ことが当たり前だから、そこまで心配しないで!

現代人はあることが、ベースで物事を考えがちです。

あることが、当たり前。

だから、

  • なくなることが怖い。
  • できなくなるのがつらい。

と考えてしまいます。

でも、そうではありません。

元々、人は何も持っていないのが、当たり前なんですから。

持っている・あることが、幸せなことなのです。

  • 何かがなくなるのが、怖いのは当たり前なことです。むしろ、今持っていることをラッキ-と思いましょう。
  • 痛みで何か出来るなくなることも、当たり前なことです。むしろ、その痛みで何かを教えてくれているんだなと考えたほうが、幸せではないでしょうか?
お客様
お客様

心配事があるってことは、幸せなことだよね!

というお客様の言葉の通り、なにか「ある」ということは、幸せなことです。

なぜなら、人間は、最初から何もないのですから!

おわりに

最後にこの言葉をご紹介いたします。

「隻手音声(せきしゅおんじょう)」

意味

それまでの人生で、とらわれていた意識を崩しなさい!という意味

参考 禅のことば 禅のこころP104

両手を合わせて打てば音が出ます。

しかし、片手では音はでません。

片手の音を聞くとは、これまで当然だと思ってた考え方を根本から疑って、それまでの人生でとらわれていた意識を崩しなさい!という意味です。

そのため、この記事を読んでいる方は、ぜひ「隻手音声(せきしゅおんじょう)」を実践してみて下さい。

「ある」ことが当たり前と思っているのでしたら、「ない」がスタンダードだと考えるようにしましょう。

そうすれば、つらい事なんて、何ともないように思えるはずです。

※気持ちをすっと落ちつかせたい方は、こちらの本がオススメです!一休さんのお話はのっていませんが、「隻手音声」の意味やそのほかの禅のことばが、たくさん書いてあります。心配事や嫌な事があった時に、手に取って読むだけで、こころが落ち着く1冊です。心や身体がつらい方は是非ご覧下さい。

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