衝撃をうけた。
という本を読んでいたら、このように書かれているではないか。
「自分が生まれる前に書いたシナリオ通り」に、人生は進んでいくらしい
そんなわけあるかい!
当時の私は、このように思っていました。
しかし、読み進めていき、自分の人生を振り返ってみるとあながちウソではないようだ。
むしろ、生まれる前にシナリオを書いてきているという事が真実であると思うようになった。
なぜそう思ったのかというと、
自分がつらい時は、共通して「必ず何か起きたことを変えようとジタバタしている」ことが多いからだ。
むしろ、常にジタバタしてこころがつらい状態になっていた。
このように言うと、「そんなわけない!自分の人生は自分で切り開くものだ!ジタバタすることが大切だ!」という反論が出てくるだろう。
しかし、もがけばもがくほど、蟻地獄のようにどんどん地面に身体が埋まっていく感じになる。
つまり、嫌な出来事に対して、あらがってはいけないのだ。
今回の記事では、私が衝撃を受けた「「自分が生まれる前に書いたシナリオ通り」に、人生は進んでいくらしい」と書かれている
をご紹介していきます。
この本を読めば、自分の人生について俯瞰して見れるようになり、そして、自分の命題が見つかる。
そんな素敵な本と出会ったので感想をつづっていこうと思いますので、是非最後までお付き合いください。
結論:自分の人生のシナリオは自分が生まれる前に書いている。それしてそれが命題だ!
ありがとうの奇跡の著者、小林正観さんは「生まれる前に自分のシナリオを書いてきている」とおっしゃっている。
私も半信半疑であったが、やっぱり自分のシナリオは書いてきているのだなと思うようになった。
多くの方が、つらいことにあったら嘆き悲しむ。
「こんなひどい人生のシナリオを自分で書くわけないじゃないか?」と思うだろう。
しかし、小林正観さんはこのようにおっしゃている。
裕福な家庭に生まれようが、貧しい家庭に生れようが、必ずどちらも50%になる。
つまり、このような意味だ
裕福な家庭に生れる
- 50%はニコニコと生きていく
- 50%は自己中心的な性格になる
貧困家庭に生れる
- 50%はとても良い人格に育つ
- 50%は貧困に対して悪意をもち、性格がねじれてしまう
どちらも50%ずつである。
そして、どちらの家庭に生れても、どの正確になるかは自分が書いたシナリオ通りとのこと。
環境では変わらないらしい。
だが、人はひどい境遇や凄惨な出来事がおきるとそれを受け入れられない。
そして、「こんなひどい人生のシナリオを自分で書くわけないじゃないか?」と思う。
しかし、間違いなく人生のシナリオは自分で書いていると私は思う。
そして、そのシナリオには命題があるはずだ。
その命題に気づかせるために、自分自身のシナリオを構成しているのかと。
例えば、私の例をあげてみよう。
有り得ないことが立て続けに起きた2019年・2020年
これは5年ほど前のお話である。
2019年2月に歯の治療を行った。
忙しさにかまけて、虫歯になってしまったからだ。
たかだか虫歯だと思っていた。しかし、歯の治療を受けてから身体がおかしくなってしまったのだ。
理由としては、元々治療歯が多く、噛み合わせがおかしくなってしまったからだ。
そこから、院を変えて、噛み合わせの治療をすることになった。
左半身に力が出なく、あごも痛いので食事もままならなかった。
まともに立っていることもできないので、仕事も半分以下に抑えて行っていた記憶がある。
半年たって、噛み合わせの治療のかいあって、身体も徐々に回復。
その矢先のこと、妻の実家が水没被害を受け、全壊してしまった。
台風19号の影響で、千曲川の堤防が決壊し、大量の水が流れ込んできてしまったからだ。
当時は長野ではなく、愛知に住んでいたので、妻も気が気でなかった。
すぐにかけつけ、水が引いてからは家の撤去作業を行っていた。
自分も月~土は愛知で働き、土曜の夜から長野へ行き、撤去作業をする日々を3か月ほど続けた。
水害の影響もひと段落したのは年末のことだ。
良い年を迎えられますようにと想いながら、妻の実家の家族がすむ長野の仮住まいで年を越した。
せいせいした気分であったのを覚えている。
そして、長野から愛知の住まいに帰ったら、目を疑う光景が広がっていた。
泥棒に入られていたのである。
「こんな家に?」と疑ってしまった。
そして、家においていた12月の売上金を全て盗まれてしまったのだ。
呆然とした。
忙しさにかまけて、銀行に売上金を入れていなかった自分がいけない。
でも、やるせなさが湧き上がってくる。
「正月早々にどうして俺だけ・・・?」
その言葉が、頭の中でぐるぐると響き渡った。
この現状にもがけばもがくほど、苦しくなった。
蟻地獄のように、地面にからだが埋もれていく感じだった。
身体を壊し、妻の実家がなくなり、そして泥棒に入られる。
そんなあり得ないことが立て続けに起きた。
ですが、それらの出来事があったからこそ、今の自分があると思えるようになりました。
命題:それは自分の家族を大切にすること
身体を壊し、妻の実家がなくなり、そして泥棒に入られる。
これは、恐らく起きるべくして起きたのだと思う。
当時の僕は、妻との2人暮らし。
- とにかく自営している整体院を大きくしたい。
- 売り上げをあげたい。
そんな一身で働いていた。
しかも、昼夜問わず。
とにかく、人より裕福になりたいと考えていたのかと。
でも、実際はお金で裕福になれるわけではない。
私にとっての「裕福」は、『家族との時間』だという事にここ数年で気づいた。
いや妻の故郷である長野に来てから感じるようになったのだ。
ありえない事件が立て続けに起きた後、妻は地元に戻りたいと言いだした。
最初は戸惑ったが私も色々考え、お店をたたみ、愛知から長野へいくことを決意した。
そして現在に至る。
環境が変わって、ふと気づいたことがあった。
お金は明らかに愛知にいた時の方が稼いでいたのに、なぜか心が満たされている。
なぜなら、妻と朝食をたべ、仕事をし、夕方には帰って妻と夕食を食べれるようになったから。
いや、それ当たり前でしょ!と言われるかもしれないが、私からすると妻と食事するなんて、愛知にいた時では考えらなかった。
昼夜問わず働いていたのだから。
それを思うと、あり得ない出来事は
- 身体を壊す→休みなさい。支えてくれる家族を大切にしなさい
- 妻の実家がなくなる→妻にもっとより沿っていきなさい
- 泥棒にある→これ以上あなたにはお金は必要ありません。家族との時間を大切にしなさい
という意味なのではないだろうか?
そのように考えると、自分が生れる前に自分の気質を把握していて「こいつに気づかせるにはこのようなシナリオにしないといけないな!」と思ったはず。
そして、あり得ない出来事を人生のシナリオに組み込んで、自分の命題に気づかせようとしたのではないだろうか?
自分の命題とは?
そう、私の場合
「家族と一緒にいる時間を大切に」
家族を大切にすることで、私は裕福になった。
私にとっての裕福はお金ではなかったのだ。
平凡な日常、そして、家族とのが時間が私にとっての裕福なのである。
そのように考えると、小林正観さんがおっしゃった「生まれる前に自分のシナリオを書いてきている」という言葉は真実だと私は考える。
なぜなら、身を持って体験しているから。
人は理解の範囲外の言葉を投げかけられると「そんなのうそでしょ?」と思うようだ。
しかし、小林正観さんがおっしゃっていることは確信に近いものが多い。むしろ、それが真実なのだと思う。
もしあなたが「なぜこんなひどい人生なんだ」「なんでこんなにつらい日々を送らないといけないんだ」と思っているようでしたら、小林正観さんの著書「ありがとうの奇跡」が非常におすすめです。自分の人生を振り返る事ができ、そして、自分の命題を見つけることができるから。是非お手に取って読んでみて下さい!
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ありがとうの奇跡 Kindle版
amzn.to
おわりに
ちなみ小林正観さんの著書「ありがとうの奇跡」は、愛知の整体院をたたむ時に最後のお客様がこれを読んでねと言って渡してくれたもの。
長野に来て、1年経った頃に初めて読んでこう思いました。
- 人と関わりって本当に素晴らしいことなんだな。
- 自分の命題を大切にしよう。
そして、もう会うことが難しいお客様へ。
この本をくださり、本当にありがとうございました。