2024年6月14日金曜日、10時38分
36時間の長い長い出産を経て、息子が誕生しました。
産声は、燃え盛る炎のように。
とても、とても力強かったです。
立ち合いのため、急遽、ご予約をキャンセルしていただいたお客様、大変申し訳ございませんでした。
おかげさまで、貴重な経験ができました。
母と子の強さ。
本当にすごかったです。
6月12日の23時より産気づき、14日の10時40分までノンストップ。
飲まず、食わず、睡眠もせず。
痛みに耐え抜いた妻。
そして、私の息子を誇らしく思います。
息子は出産後、妻のお腹の上におかれることなく、NICUに連れていかれました。
自分はそばにいて、その状況を、ただただ傍観することしかできませんでした。
しかし、現在、母子ともに順調に回復しております。
一安心できたので、この記事を現在つづっているところです。
陣痛~出産までの2日間。
長いようで、今と思えば一瞬のできごと。
そして、出産の翌日は、清々しいほどの青空だったのを覚えております。
この不安と期待。
そして、感動が色あせる前に、記録に残しておこうと思います。
もし自分が今後、嫌なことや不安なことで、妻や子どもにやさしくなれない時は、この記録を読み返します。
そうすればきっと、この時の状況を思い出して、やさしくなれるから。
この記事は、ただただ傍観することしかできなかった、僕の備忘録となります。
ご興味があれば、ぜひ最後までお付き合いください。
命が生まれるというのは、こんなに苦しくて、つらくて、感動するものなのか…
陣痛が始まるちょうど前日に、妻からおしるしが出たとの報告を受け、出産もいよいよかと心待ちにしていました。
そう、とても軽い気持ちで…
あんなにも大変だったとは、世の中を知らなさすぎました…
命が生まれるというのは、本当に奇跡なのだと思い知らされた2日間でした。
6月12日水曜日 23時00分:いよいよ妻の陣痛がはじまった
6月12日の23時にその時が来ました。
いよいよ始まった。
当初から妻の陣痛は、かなりの痛み方をしていました。
あまりにも痛みが強いので、すぐさまに病院へ連絡。
しかし、当然の如く、病院からは待機するように命じられました。
6月13日木曜日 4時00分:陣痛が10分おきに
陣痛の感覚が、いよいよ10分おきになった。
この時も、妻はかなりの痛み方をしていました。
そして、病院へ連絡すると、来てもいいとのこと。
6月13日木曜日 4時40分:病院到着
車の道中、少しでも揺れるだけで、苦しがる妻。
15分でつけるのに、その道のりが果てしなく長く感じました。
病院到着後、妻は陣痛室へ
看護士さんから、かなり痛がっていると報告を受ける
その時、陣痛は普通、そのぐらい痛いものなのだと思っていました。
ですが、実は・・・
6月13日木曜日9時:入口はまだ3cm
看護士さんから、入り口がまだ3センチしか開いていないとの報告を受ける。
こんなに痛がっているのに?
ウソだろ・・・
6月13日木曜日12時00分:ようやく5㎝
ようやく入口が5センチまで開いてきた。
少し一安心。
でも、隣のお母さんは、1時間に1度ぐらいしか強烈な痛みが来てない。
かたや妻は、5分おきに強烈な痛みを訴えている…
大丈夫かな…
6月13日木曜日16時00分:入口は5㎝のまま
入口は5センチから広がらない…
そして、妻の呼吸がだんだんとおかしくなってきた。
妻はまだ大丈夫だと言ったが、明らかにおかしかったので、すぐにナースコール。
看護士さんが駆けつけてくる。
「息を吸いすぎですよ!」と注意を受ける。
実際、過呼吸になって、手がしびれていたと妻が訴えた。
(がまんするなよ・・・)
看護士さんが、「念のために子どもの心音を確認します」と。
子どもの心音が、危ない状態になっている時があるという。
(おいおい、まじかよ・・・)
すぐに医師が呼ばれる。
6月13日木曜日16時30分:医師から
「子どもの生きる力がまだあるから、このまま様子を見ていきましょう。」
と説明を受ける。
2人とも、頑張ってくれ・・・
6月13日木曜日21時:入口は未だに・・・
入口は未だに5センチしか開いていない・・・
9時間、進展が無い。
妻の疲労が否めない。
まるで見えないトンネルを歩いているようだ。
クラクラする。
痛い・痛いと泣いている妻に、さすってあげるぐらいしかできない・・・
6月14日金曜日0時55分:妻の疲労がピーク
まちがいなく、妻の疲労がピークを過ぎている。
意識がもうろうとし出す。
無理もない。
夜中に陣痛がおきたため、この時点でまるまる2日間寝ていないからだ。
吐きたくても、出るものもない。
胃酸が食道に入ったためか、胸が痛くなる。
もう一度看護士さんを呼ぶ。
外へ出され、内診される。
結果、ようやく9割型入口が開いてきたとのこと。
あと、もう少し。
6月14日金曜日01時15分:入口が全開に
ようやく入り口が全開になった。
この時、陣痛が始まってから26時間が経過していた。
そのまま分娩室へ。
助産師さんと交代する。
これで担当が4人目だ。
子どもの心音は、妻が陣痛で苦しむ時に落ちる時がある。
しかし、まだしっかりと元気に、心臓の音を鳴らしている。
がんばれ!2人ともがんばれ!
6月14日金曜日02時30分:子どもが恥骨までおりてきた
遂に、子どもが恥骨のところまで降りてきた。
恥骨から産道までが、最難関。
一番細い所だからだ。
だがしかし、妻の陣痛が弱まる。
どんどん強くならないといけない陣痛が弱まる…
どれだけ、いきんでも
どれだけ頑張っても
狭い恥骨のすきまを通れない…
また不安におちいる
がんばれ!と声をかけないといけないのに…
嫌な場面が脳裏によぎり、声が出ない…
6月14日金曜日06時00分:未だに恥骨を通れず
ついに妻がいきめなくなった。
「早く出したい!」と泣き叫ぶ。
ただ手を握ってあげるしかできない僕。
涙しか出でこない。
早く出してあげてくれ…たのむから。
その時、言われた一言が今でも耳に残っている
「どうして私だけが痛い思いをするの?」
なにも言えなかった…
6月14日金曜日06時30分:陣痛促進剤投与
陣痛が弱くなっているので、医師より陣痛促進剤を勧められた。
- 体力の限界の妻
- 弱まる陣痛
これ以上はリスクだ。
促進剤投与が、リスクヘッジになると感じたので、もちろん即座に承諾。
書類にサインをする。
6月14日金曜日08時00分:5人目の助産師さんに交代
5人目の助産師さんに交代。
そのタイミングで、
「旦那さんも休みなさい」と言われた。
「産まれた時にフラフラだったら意味ないよ」と。
強制退場させられた。
心配だ…
でも、今自分ができることは、何もない…
少しだけ休もう。
10分だけ食事をし、5分だけ目を閉じて休憩した。
6月14日金曜日09時30分:陣痛促進剤の量が増加
陣痛促進剤の量もかなり上がっていた。
1分おきに、妻に強烈な陣痛が起きている。
妻がいきむと、筋肉が収縮しすぎてしまうのか?
ただただ、子どもが苦しくなるだけでおりてこない。
そのため、「陣痛の力だけ」でおろす方法に変更したようだ。
陣痛の力だけなので、妻にはいきまないようにとの指示がだされる。
でも、強烈な陣痛の痛みで妻はいきんでしまう…
がんばれ。
がんばれ。
あと少しだよ…
6月14日金曜日09時45分:もう限界だ…
妻の意識が完全と朦朧としている。
幻覚・幻聴までおきている。
顔色も黄色い、いや、緑に近いと言って良いぐらいだ。
みてられない…
この場から逃げ出したくなる…
6月14日金曜日10時00分:朗報
朗報だ!
ついに恥骨を通った!
陣痛の力だけで、恥骨の細いみちを通り抜けた!
あとはいきんで出すだけ!
6月14日金曜日10時38分:ついに!
ついに
ついに、息子が誕生した!
大きな産声もあがった!
・
・
しかし…
息子が出ると同時に大量の血液が…
・
・
僕も医療従事者だったから、その意味を知っている…
辺りが騒然とする。
たくさんの看護士さんたちが、すぐさま他の部屋から応援にかけつける。
そして、息子は、妻のお腹の上におかれることなく
違う部屋へ連れて行かれた…
6月14日金曜日10時45分:幸い
幸い、妻の意識は、終始あった。
出血していたというよりも、大量の血液は、子宮内にたまっていたものだったらしい。
胎盤がやわらかかったため、もしかしたら、一部剥がれていたのかもしれないとのこと。
息子は、となりの部屋から大きな産声をあげている。
・
・
しかし、その後、妻には会う事もなくNICUへ…
ドクターからの説明
1時間後、ドクターから説明を受けた。
息子は、お産の時に、血液を飲み過ぎてしまったとのこと。
その影響で、動脈管とよばれる閉じるはずの血管が、閉じなかったかもしれない。とのことだ。
動脈管が閉じないと、動脈と静脈が混合してしまい、酸素を上手く全身に回せない。
特に息子は、足の方に酸素が行き届いていなかった。通常の7割ぐらいしか。
酸素が行き渡らないと、過呼吸になる。
そして、心臓にも肺にも負担をかけてしまう。
だから、すぐにNICUで、酸素投与が行われた。
NICUでの面会
色々な管に繋がれた息子。
だけど、彼には生きる強さがあると感じていた。
- 大きな産声にしても
- 30時間以上の出産に耐えた体力にしても
だから、僕も妻もそこまで心配はしていなかった。
実際、NICUで会ってみると、
ドクターは、
「酸素投与したら、足への血中酸素飽和度が正常に近づいてきてますね。」と言ってくれた。
安堵で涙が出そうになった。
1日1日、日がたつごとに…
1日1日、日がたつごとに、息子につながっていた管が取れていった。
3日たった6月17日には、酸素の管もなくなり、自発呼吸で様子をみていくことに。
経過は良好だ。
良かったなぁ。ほんと、良かったなぁ。
母子ともに健康に回復している。
ありがとう、産んでくれて
ありがとう、生きていてくれて
僕はなんて幸せなやつだ。
子どもの名前は
息子は、本当にラッキーボーイです。
もし、病院にNICUが無かったら…
早期の対処ができなかったかもしれない。
本当に幸運だ。
しかも、親孝行息子です。
ダメージが大きい妻を気づかって、看護士さんがしっかり管理してくれるNICUにいてくれる。
なんて、親思いの子だ。
お客様がおっしゃっていましたが、
生まれて、老いて、病気になって、亡くなる。
それが、四苦八苦の「四苦」だと。
生れてからすぐに、いや生れる前から「四苦」を味わった彼はきっと、僕の想像を上回る男になるだろう。
そんな彼に
生きる力がとても強い彼に
我々夫婦から、最初のプレゼントをあげたい。
それがこの名前…
燎青(りょうせい)
意味は次の通りです。
人生への活力をしめしてくれる「火」
誠意・誠実がこめられた「青」
「青い火」は、完全燃焼できる人生を
そして、
「燎(かがりび)」のように、家族をしっかりと守れる男になって欲しい
そんな想いから「燎青」にしました。
しかも、長尾燎青、字画が超最高に良いんです(笑)
おわりに
長々とつづってきましたが、最後に妻とりょうちゃんにむけて。
本当にありがとう!
いや、こう書いた方がいいな。
有難う!
ただただ、見ていることしかできなかったけれど…
2人から大きな
とても大きなプレゼントをいただきました。
本当に有難う!
こんな自分を父ちゃんにしてくれて有難う!
これから3人で楽しく生きていこうぜ!
ここまで読んでくださった皆様。
最後までおつきあい、ありがとうございました。
りょうちゃん、これからよろしくね♪
※追記
2024/6/22(土)に、母子ともに健康な状態で退院することができました。
りょうちゃんの生きる力と、妻の頑張りに感謝です。